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■機動部隊 |
■機動部隊とは
「広辞苑」によれば機動部隊とは、陸戦では「車両・航空機または海上輸送
などで遠距離の戦場に急速に派遣できる部隊」、海戦では「航空母艦を中
心として巡洋艦・駆逐艦などで編成され、航空戦を主任務とする高速艦隊」
とあり、航空母艦を主体とした部隊とのイメージが強い。
それは、太平洋戦争の開戦時にハワイ攻撃部隊を「機動部隊」と呼称し、
マリアナ沖海戦に参加した空母を中核とした部隊を第1機動艦隊と呼称した
ことからきていると思われる。
しかし、厳密に解釈すると、アメリカ海軍は作戦目的に応じて必要な部隊を
編成する勤務部隊(Task Force)編成を採っており、任務部隊に航空母艦
が含まれるとは限らない。
ちなみに、英語ではハワイを攻撃した機動部隊を「Task Force」、マリアナ
沖海戦に参加した第1機動艦隊を「First Mobile Force」、代表的なアメリカ
の機動部隊である第7艦隊の空母を主力とする部隊を「空母任務部隊(Ca
rrier Task Force)」という。
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■海軍機動部隊の誕生
1.航空母艦の誕生
・空母「鳳翔」の誕生
日本で最初に建造された空母は1921年に
竣工した「鳳翔」である。
改造船としての空母は早くから諸外国で建
造されていたが、最初から空母として建造
されたのは、この「鳳翔」が世界初である。
しかしながら、当初は航空機の性能も低く
運用可能な搭載機数も15機程度であったため、確固たる運用には至らな
かった。
2.航空戦隊の誕生
1928年に加賀・赤城・鳳翔の空母3隻と第6駆逐隊(駆逐艦4隻)で、
日本最初の航空戦隊が編成された。
しかしながら、艦載機の発着技術の問題から、本格運用に至ったのは
1930年からであった。
任務としては制空権の獲得と味方観測機の着弾観測の優勢化と敵着
弾観測妨害の煙幕の展開であった。
3.航空艦隊の誕生
航空部隊の技術が向上すると、用兵の原則である「兵力の集中」が新
たな課題として問題となった。
1940年には、海戦における航空機威力の最大発揮は適時適切に全
航空攻撃力を集中させる必要があり、そのためには一指揮官の下に
訓練から実戦まで遂行しうる航空艦隊を連合艦隊内に編成する必要性
が叫ばれるようになった。
そうして、1941年4月10日航空母艦群を統一指揮する第1航空艦隊
が編成された。
ハワイ真珠湾攻撃の8ヶ月前である。
4.機動部隊の誕生
第1航空戦隊は編成されたが、護衛部隊に駆逐艦を加えただけのもの
であった。とはいえ、当時としては世界最大の空母部隊であった。
第1航空戦隊:赤城・加賀
第2航空戦隊:飛龍・蒼龍
第3航空戦隊:瑞鳳・鳳翔
第4航空戦隊:龍驤・春日丸
第5航空戦隊:瑞鶴・瑞鶴
そして山本五十六連合艦隊司令長官のもと空母群によるハワイ真珠湾
攻撃が計画され、はじめて機動部隊という名称の部隊が登場した。
機動部隊指揮官:南雲忠一中将
第1航空戦隊:赤城・加賀
第2航空戦隊:飛龍・蒼龍
第5航空戦隊:瑞鶴・瑞鶴・駆逐艦(秋雲)
第3戦隊 :戦艦 比叡・霧島
第8戦隊 :重巡洋艦 利根・筑摩
第1水雷戦隊:軽巡洋艦 阿武隈
第17駆逐艦隊(谷風・浦風・浜風・磯風)
第18駆逐艦隊(不知火・霞・霰・陽炎)
第2潜水隊(伊号潜水艦3隻)
補給部隊 :極東丸・健洋丸など3隻
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