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 ■連合艦隊

 ■日本海軍の艦隊建設
  1892年(明治26年)の5月に陸軍の参謀本部と同格の軍令部の誕生で、日本海軍
  は文字通り一本立ちした。
  その日本海軍の真価が問われる事態が目前に迫っていた。
  清国との戦争である。
  当時、日本の朝鮮進出の大きな妨げとなっていたのが清国の存在であった。
  清国と戦うには日本海と黄海の制海権を手にする必要があり、それには海軍力が決
  め手になる。
  一方、当時黄海は清国が東洋一を誇る北洋水師(艦隊)が配備されていた。
  北洋艦隊には戦艦、巡洋艦、魚雷艇など大小50余隻の戦力を保持しており、当時の
  最新鋭艦である「定遠」「鎮遠」の2艦が中心となっていた。
  これに対抗するために1889年(明治23年)以降、日本は海軍の拡大をはかった。
  そこで、本格的な1等級巡洋艦で、のちに三景艦といわれる「橋立」「松島」「厳島」の
  建造に着手した。
  設計は日本が行い「松島」と「厳島」はフランスで建造し、「橋立」は横須賀造船所での
  国産となった。
  この三景艦に続いて、日本は同クラスの巡洋艦「吉野」「浪速」「高千穂」をイギリスに
  発注して竣工させ、ここに軍艦31隻、水雷艇24隻からなる日本初の本格的艦隊をつ
  くりあげたのである。
  その戦力は清国の北洋艦隊と互角に戦えるものであった。

  ■連合艦隊の誕生
   1894年(明治27年)の春、日清両国はついに軍隊を派遣してにらみ合いの状態に
   なっていた。
   そして、同年7月日本は清国に朝鮮からの撤退を要求し、海軍は常備艦隊と警備艦
   隊を改称した西海艦隊をもって、日本海軍初の連合艦隊を編成し、司令長官には常
   備艦隊の伊東中将を任命した。

   【日清戦争勃発時の連合艦隊編成】

   ◆連合艦隊
    司令長官:伊東祐亨中将
    参謀長  :鮫島員規大佐
    参謀   :島村速雄大尉

    ◆常備艦隊
     司令長官:坪井航三少将
     参謀   :中村静嘉大尉

     艦艇:松島・厳島・橋立・扶桑・千代田・比叡・吉野・高千穂・秋津洲・浪速
     報知艦:八重山
     艦隊附属艦:磐木・愛宕・麻耶・鳥海・山城丸・近江丸
     附属水雷艇:小鷹・第7号・第12号・第13号・第22号・第23号
     水雷艇母艦:筑紫

    ◆西海艦隊
     司令長官:相浦紀道少将
     参謀   :出羽重遠少佐

     艦艇:金剛・天龍・大島・葛城・高雄・赤城・武蔵
     艦隊附属船:玄洋丸

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